私は熱くなったアスファルトがやんわりと放つ独特な匂いが嫌いだった。
-1994年6月
いつの間にか降られてしまった雨に呆然と立ち尽くすしか無かった私に美雪は声をかけてくれた。
小悪魔のような表情を浮かべ相合傘だねという。
1年前から同じ町内に引っ越してきた彼女は余りにも豪雨に見舞われた為、そのまま私の家に来ることになった。異性の部屋を興味深そうに見つめる美雪。
その中で一つ興味を示したものがあった。
エキサイトステージ94。
スーパーファミコンのサッカーゲームで当時のお気に入りソフトだった。早速対戦してみるが案の定私が勝利し、下手くそだなぁと笑いながら言う。すると彼女は僕の部屋にあったアポロというチョコレートを開け、それを貪るように食べる仕返しという短い言葉と笑みを含めた、したり顔で私の部屋を後にした。アポロは全て無くなっていた。
それからしばらく彼女は悔しいからと何度も何度も同じゲームをした。だけど彼女は一度も私に勝ったことはない。その度に笑ってその度に部屋にあるものを食べられた。
-1996年3月
彼女は引っ越すことになった。どうやら遠い所らしい。
それまで何度か急に学校に来なくなったりしたので話す機会は急激に減っていた。
彼女の両親は私の家に挨拶にくると、美雪の母は私に手紙をくれた。差出人は美雪からだった。
細かくは覚えてないが引っ越すこと、そして学校に来れなかったのは病気だったからということ。そしてまた必ず会いに来るということ。
その手紙を読んでいる時、母親のすすり泣く声が私の部屋まで聞こえてくるのは分かった。
1999年6月
私が部屋でTVゲームをしていると母から突然告げられた
美雪が亡くなったと。
死因は白血病による合併症だったらしい。
点と点が線で繋がった。
あの時母が泣いていたのはその病気を知っていたからだ。そしてそれを私に告げなかったのは私に気を使ったからだ。
だけどそれが許せなかった。だけどどうしようもなかった。自分という存在があまりに無力であまりにも小さいと感じた瞬間でもあった。
-2019年5月
TFAの運営チームで失楽園杯のプレマッチをトーナメント形式で行うことになる。
意気揚々と対戦するが一回戦でエデンさんに負け、最下位決定戦でも、ゆーじろさんに負けた。しかもボロボロに負けた。流石に落ち込んだ。
「ヘッタクソだなぁ」
ふと横を見ると20年もの空白を埋めるかのように精一杯のニュアンスで美雪がそう言っていた。
私は笑った。精一杯笑った。
笑って、笑って、笑った。
他にどうしていいか分からないからかもしれない。
嬉しかったからかもしれない。
本当は彼女のことが好きだったのかもしれない。
美雪に対する箇条書きの思いが、両手に抱えきれないほど胸の奥から溢れ出し、それは頬を伝った。
思い出は、あなたと共に。
fin.
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